古い戸籍と戦争に思う [☆日々の出来事]
今年の夏は局地的豪雨も多く、本当に天気が不安定ですね。
お盆休みは実家の山口に帰省してきました。
その際、瀬戸内の小さな島「大津島」にある回天記念館を訪れました。
ここは太平洋戦争末期、日本の戦局が厳しくなってきた時に
人間魚雷「回天」という特攻兵器に乗り込む隊員の訓練基地がおかれたところです。
6月に息子が修学旅行で広島の平和記念資料館を訪れ、
学校の授業でも日本の戦争について学び、平和学習を行っていたため連れて行きました。
仕事柄、数多くの古い戸籍を見ていると、南方の島や満州、さまざまな戦地で亡くなられた方の記載を目にします。人によっては終戦後、数年から10年近くたってその旨が記載されている場合もあります。戦時中、すぐに届け出られない場合や、終戦後もしばらく生死不明の場合も多くあったと思います。
子どもにとっても、私たち親世代にとっても
日常には戦争について考える機会はありません。
しかし、日本が過去に起こした戦争の悲惨さ、
自らの命をかけて戦って亡くなられた方々の想いを知ることは、
平和な未来をつくるために大切なことだと思いました。
相続についてのご相談は
名古屋市中区栄・中日ビル8階の『相続あんしんセンター』にて ↓
http://www.hattori-legal-office.net/
0120-353-810
りーせくR
お盆休みは実家の山口に帰省してきました。
その際、瀬戸内の小さな島「大津島」にある回天記念館を訪れました。
ここは太平洋戦争末期、日本の戦局が厳しくなってきた時に
人間魚雷「回天」という特攻兵器に乗り込む隊員の訓練基地がおかれたところです。
6月に息子が修学旅行で広島の平和記念資料館を訪れ、
学校の授業でも日本の戦争について学び、平和学習を行っていたため連れて行きました。
仕事柄、数多くの古い戸籍を見ていると、南方の島や満州、さまざまな戦地で亡くなられた方の記載を目にします。人によっては終戦後、数年から10年近くたってその旨が記載されている場合もあります。戦時中、すぐに届け出られない場合や、終戦後もしばらく生死不明の場合も多くあったと思います。
子どもにとっても、私たち親世代にとっても
日常には戦争について考える機会はありません。
しかし、日本が過去に起こした戦争の悲惨さ、
自らの命をかけて戦って亡くなられた方々の想いを知ることは、
平和な未来をつくるために大切なことだと思いました。
相続についてのご相談は
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りーせくR
2014-08-20 09:56
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